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だ)大日本人 [映画(た]

松(本人)志。の処女作。大日(本人)(だいにっぽんじん)を観た。

映画を終えると、普通はこの映画xx点とか。
アレがヨかった。コレが悪かったなどど頭にリストが残るのが
映画の直後の観客の状態なのだが、・・・松本作品はちがう。

劇場が明るくなっても、あんぐりと口を空けたままの観客。一同唖然。
そして朱色会は、その場で頭を抱えることとなった

いつもは
映画をみて楽しいとか、悲しいとかの感傷とか
または作品や監督への
怒りとか悲しみとか起きるが、この作品ではまったく起きない。

『あれ?いまオレ映画観たんだよな。。』

観客も口々に「わからん」『難しい』
と顔を見合したり、首を傾(かし)げたり。。。

いや、意味のない映画ではない。それをそのまま
受け取っていいのか戸惑うほどのシンプルな作品だとおもうが
・・これは松本からの映画ブロガへの<朝鮮>状だ(笑

受けてたとうじゃないか・・
私は「朱色会」なのだ。逃げるわけにはいかない・・だが
時間をくれ。要旨はこの方にいっていることが正解。私は違う側面で書く。

http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id327082/rid144/p1/s0/c5/

~~~~~~
本人はいやだろうが、やはりこの人と比べられるのは仕方がないことだ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E6%AD%A6

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%BF%97

鑑賞記:現代にっぽんのリアルウルトラマンをひっさげ、
    吉本 カンヌへ初見参!

少年の頃みたヒーロー。それは、その時代を生きたものたちの共有の財産であるとともに
ほかの世代に組み入れられない【ある世代】を形成する。

・力道山
・石原裕次郎
・鞍馬天狗
・ハリマオ
・月光仮面

→王・長島
→アントニオ猪木
→ウルトラマン
→仮面ライダー

・(ヒーロー未存在時代:第一期

・ガンダム
・ドラゴンボール


・・・そして「21世紀」になり、ヒーローはまたいなくなった。

ヒーローを語るのが許されない時代
ヒーローが存在することを許さない時代
ヒーローを逢えて奉らない時代
ヒーローを貶め、嗤う時代
が今なのだろう。・・そうかもしれない。

松本は明らかにウルトラマンをオマージュしている
あの時代、少年たちはだれもが「怪獣ごっこ」をやっていたのだ

はぁ?怪獣ごっこ?シラネェ・・・となる観客は、やはりこの映画を
呑み込むことはできまい。また、月光仮面より上も同様だろう。

つまり、わからぬものたちにこの映画はメッセージをかけているのではない。
わかるものたち。つまり→マークに感応する世代にむけて
松本は同じ世代の男として語りかけている。

松本は6代目の「大日本人」であるが、
4代目の時代に生まれたかったのだ。
ヒーローが、ヒーローとして扱われていた時代。

「4代目には恩義があるんや。」

あの時代に少年をやったものならば、大人たちがそれなりに輝いていたことを
知っている。強い誇りを携え、瞳に明るさと勢いがある大人たち。

いまは、どうなのか?

それを手っ取り早く確認する方法がある。朝夕、電車に乗ってみるだけでいい。
乗客たちの顔が、それを表している。

~~~~~
できれば、(養育費のため)月80万はもらいたいと真剣にインタビューに答えるヒーロー
別居し、娘に逢いたい頻度をごまかすヒーロー
負けるヒーロー
逃げ出すヒーロー
「広告」を体にはるヒーロー(←これはツボにきた。「白い恋人」(笑
TVの要請にけなげに応えるヒーロー
花見に「持ち出し」があること突っ込まれ逆ギレするヒーロー

・・・もちろん現実に存在する「ヒーロー」たちだな。誰とはいわないが。

怪獣のほうも可笑しい。ただ、いえるのは
怪獣のほうは、昔とそれほどは変わらない。まっすぐひたむきに
怪獣をやっている。そのへんが
ヒーローの【変化】を際立たせる。

怪獣のアイデアはさすが。「世界の珍獣」を思い出す。↓
http://www.butsuyoku.net/shokugan/matsumoto/index.html
http://www.toypara.com/catalog.cgi?products/extra/matumotohitoshi/home.html

~~~~
自分の領域では如何なく自分の才能を発揮する松本だが
他人の畑では、借りてきたネコになってしまう。この映画でも
おそるおそる感が垣間見える。

また、どの監督もやはり肩に力が入ってしまうものだ。処女作はね。
映画通の松本はそのことがわかっているので、
あえてまったり感を出しているのも、映画通には見抜かれてしまうことだろう。

・・・さて、そろそろ調子がもどってきた。アクセルを入れよう。

1.松本にCGは似合わない。
本人も作中で気がつくことではあるが、やっぱりこれはだめなんだ
とCG→特撮に切り替えるところがあるが、この変化をあえて作中に残すところは
評価したい。ほかの監督さんだと、ばっさりどちらかを切る。ということは
このカットは意味があると考えるのが自然だろう。

なんというか、まぁエヴァンゲリオンのアニメ→実写に切り替えのシーンを
彷彿させた。庵野はアレで、「アニオタよ。現実に帰れ」をメッセージとしたわけだ。
実際、あの映画で私はアニメファンをやめた。

が、そもそも本作品でのあの切り替えは何を意味するのかというと
まるでこれというのが捉えられない。今は。

2.なぜ、こんなシンプルな映画にしたのか
複雑と思えるものが実はシンプルで、
シンプルなものが実のところ複雑なのが映画だ。
これは、「大日本人」の正体が松本だとしてもそうなるし、
今の日本人の【様】(←ザマと読んでください。
としてもそうなのだ。日本人を憂いている彼の苦しみは伝わってはくるが
そうなればほかの題材でもよかったはず。自分(本人)を撮りたかったということなのか?
自分のみを「売り物」にしてきた芸人らしさは感じる。

3.映画ファン・松本ファンのため、最後は表現者として【落ち】るか「スベって」欲しかった
松本は優秀なTV作品や著書を残している。だが、映画は映画での確立されたスタンスがある
それは踏襲してほしかったというのが正直な感想だ。
なんとしてもボケるだけで終わらせるぞという気骨というが意地はわかるが
そうなると観客が突っ込まなくてはならない。
でも、ほかの多くの観客は、「浜ちゃん」はやれないから、不満だけが残るというわけ。

さて、この映画の私なりの「解釈」で締めくくる。

「大日本人」は(大+日本人)大きな日本人という意味ではない。

ここまで読み進めてくれた読者ならばもうお分かりだろう。

大(日本)人だな

つまり、「大人になりましょうや。みなはん。」
・・・って意味だな。あんまりシンプルなメッセージなので、朱色会もこれを
書いていいのかどうか非常に悩むけれど、、半分以上はあたっているだろう

大人になりきれない日本(人)に、松本なりに、松本らしく
「渇!」を叫んだ作品。それが、「大日本人」というわけ。

評価:61点

・・も一度。いや何度も作ってほしい。これに懲りずに。。・・・・懲りてないか(笑


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ノラネコ

なるほどエヴァですか。
色々な解釈が可能な映画ですが、私はこれを観て松本人志って臆病な人なんだろうなあと思いました。
良くも悪くも映画を自分のフィールドに引き込もうとしてますよね。
前半は「頭頭」の焼き直しだし。
彼らしい作品でしょうが、正直言ってちょっと腰が引けた感がありました。
私は笑いの発信者たる松本人志と、受け取る側の観客の間に、ギャグのイメージにギャップがあると思っていたのですが、この作品でそれは確信になりました。
松本人志的には、これはおそらくかなり観客よりに作った作品のつもりだったんじゃないでしょうかね。
by ノラネコ (2007-06-06 00:29) 

朱色会

う~んこ(←まちがい
う~ん。この映画については賛否両論やむなしという感じです。厚意(意訳)的に受け止める方は、松本の毒を飲めるひと。観客がいちばん怖い「怪獣」であることは、彼も骨の髄まで知っていることですから。スタジオライブの客と映画館の客であしらい方を変えてきたのでしょう。私自身は、ライブのまんま走り抜けてほしかったですが。。それは2作目以降ということで。(あればですが。紅白出演(ゲスト飛び入り)のときも、松ちゃんずいぶんとおさえてんな~・・と思ったものです。
by 朱色会 (2007-06-06 00:43) 

窓際ラヂヲ

のりに乗ってる松本人志に、押す形のTVCMと、話題はあれど評価は?
見る人によって捉え方も様々でしょうが、外国人の日本人映画としての捉え方も気になりますね。
よくも悪くも興味が持てれば観る方ですが、1,800円プラス交通費ほどの価値を感じなかったらDVDマチでもいいかなと。
朱色会さん幅が広いですね。いろんな方向へ引っ張る技ありのレビューで、観たくなっちゃいますもん。
お聞きしたいことが…載せてる写真がいつも奇麗ですね。私はお遊びジャケット用に海外サイトなりで壁紙やらPhoto探しをするんですけど、ここ程の奇麗なものって見当たらないんですよ。どこから入手されてるんでしょう?差し支えなければヒントでも頂けないかと、常々思ってました。どうでしょ?
by 窓際ラヂヲ (2007-06-09 12:54) 

朱色会

承知。

他ならぬラジヲさんの頼みは断れますまい。ぜひいいジャケ作ってください。正直、オリジナルよりも良いと思います。私がDVD製作に携わっているならば、間違いなく貴方にデザインを受注します。

拙作の記事
http://blog.so-net.ne.jp/shuseki-kai_org/2007-02-10
の終わりのほうに私の探し方が書いております。
お試しください。いい作品をまた魅せてください。
by 朱色会 (2007-06-09 22:26) 

おたっきー

TBありがとうございました!

朱色会さまの洞察、いつも私的な的を得ていて楽しみです。

「松本にCGは似合わない」。本当にそうですね。
あえて前半はその似合わないCGを駆使して、
独特の世界観とテンポである意味煮え切らないイライラ感で進みながら、
後半それを「実写」でぶち壊す。

ある評論家はそれ故に本作を「駄作」と決め付けていましたが、
僕はそれこそが松ちゃんの計算であり、真骨頂であると思いました。

「でも、ほかの多くの観客は、『浜ちゃん』はやれないから、不満だけが残るというわけ」

この朱色会さまのご指摘に、実はこの映画の本質がある、と私は思いました。「浜ちゃん」になれない観客から見ると、この映画はとてつもなくつまらなく、難解かもしれません。

でも、見ようによってはとてつもなく面白い。なんとも不思議な映画ですが、僕はもう一本彼の監督作品が見てみたい、と思いました。
by おたっきー (2007-06-11 23:19) 

朱色会

彼の表現者としての理念は今までの概念の「壊し」が根底にあります。小説しかり、そしてこの映画しかりです。それは今までの映画の成り立ちという佇まいを期待する観客には酷なものです。本作については不思議と驕りが感じられません。「こんなんつくってみたけど、どんなんやろな」という少々ビビリの入った奥ゆかしさが見え隠れします。観客の「反応」にどう対処するのか、彼の進化いや深化いや新化いや真価がこれから問われるでしょう。私も人様の作品を見て駄作というときもありますから、大きなことはいえませんが、駄作という感情は観客の脳や心が生み出したものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。松本さんにはこれに懲りずに、もう一本撮ってもらいたいですね。
by 朱色会 (2007-06-13 00:21) 

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