【1st】三谷幸喜「90ミニッツ」:★★★★ [演劇]
を観てきました。渋谷パルコにて
観劇記:キめることができない日本人
1.決めるとは、その責任を負う。ということ。
日本人の苦手な(できない)行為のひとつである。それを演延とやっている。
それが始まると、いいわけが頭に詰まり
「本当に大切なもの」が見えなくなり、「手遅れ」が近づく。
2.サラサラと流れるときの中で
生命と戒律、法令と本音のせめぎ合い。人間とは面白い(不可思議な)存在だとは思う。
世界中のどこかで、今もこの葛藤というか反駁が繰り返されているのだろう。
脚本家はその本質を捉えつつ、書き続ける。
「感情(性)は、理屈に封じ込まれるものではない。」
3.30年間の仕事
の区切りを感じる。<見えない子供>への思いも。
そう、演者とは、脚本家の分身なのだ。
(現実に観た役者は、ことのほか細いな。
同伴者には話したが、この劇は、ある体験をしたものとそれ以外では
全く受け止め方が異なるだろう。図らずもタイムリーな観劇となった。
普遍的な「使い尽くされた題材」を三谷らしくまとめている。
笑えないものを笑う。人生とは、その繰り返しなのかも知れない。
「ひとに幸せをきづかせ、それを喜びとする。」
「ひとに喜んでもらい、それを幸せとする。」・・・確かにそれを彼は出来ている。
『面白かった。また行こう。』
校了。おやすみ。
他の方の「声」