【闘病記番外編】夜が過ぎれば、かならず朝が来る。 [ドキュメンタリー]
今、病室には重苦しい空気が立ち込めている。
いつもは饒舌な二人は、押し黙り、共通のことを考えている。
という重い問いへの答えだ。
NHKクローズアップ現代「ある少女の選択」放映後のことである。
こたえが出ないため、床に就くにことにした。
国、人種、言語、文化、肌の色など様々な違いがあるこの星の人間たちだが
2つだけ共通するものがある。それは、二人の男女から生まれ、そして
必ず亡くなるということだ。
・現在、健康な人
と
・現在、病気と闘っている人とその支援者たち
では評価が分かれるだろう。私は、そのことを書いてみようと思う。
まずは、私の結論(立場)だが、私はこの少女の選択(行為)は認められない。
うちのばぁちゃんは(同様な状況だったが)
番組の少女が「どっちに逝った」かはわからないけれど
もしも、天国にいったならば
ばぁちゃんの往復ビンタが待っているだろう。
(執筆中断。病室引越し中。
~~~~~~~
(再開。これからが本論。
1.「よのなか」の構成物
さて、では私たち人間は、「オギャア」と生まれ、亡くなるまで何をしているのだろうか?
半世紀ほど生きている私の感想としては、「世の中を体験している」と云える。
そして、以下の公式となっている(きっぱり
世の中=少数の頼れる味方+それ以外
<それ以外>に対して、われわれ個人として対応はできないようになっている。
個人でそれをやろうとしても、それこそ「木っ端みじん」に粉砕されるほど
<それ以外の存在>は強固で、巨大なものなのだ。
そして、頼れる味方だが、少数というのがポイントだ。それは後で。
では、「それ以外」とは、いったい何者なのであろうか?
~~~~
『嗚呼、神様とやら。貴方はなぜ我々に( )を与えたもうたのか?』
()内は、色々とそれぞれの人が埋められるだろう。
台風・地震・氾濫(噴火)・津波などの天災に関するもの
病/死・犯罪・貧困(格差)・いじめ・戦争など人災に関するもの
そして・・・老い
・・・とにかくこの世は<厄災>に溢れている。
ほんのちょっと、或いはときたまいい時があり、あとはあんまり良くない
それが人生と云えるだろう。この後は、病と命に絞っていく。
2.死は数々「美しく」描かれるが・・
そもそも、ことば通りの「安楽死」とか「尊厳死」は
この世にひとつも存在しない(きっぱり
~~~~
私(朱色会)が危惧している風潮として
「オブラート・モラトリアム」(朱色会の造語)というものがある。
いじめや事件を「トラブル」といってみたり、
障害者を「障がい者」と言い換えてみたり、
・・・「安楽死」は「尊厳死」に変わった。
さて、安楽死であるが、誰が<安楽>になるのだろうか?
死は、死以外の何者ではなく、装飾するのは装飾したい側の論理だろう。
また、残された人々に安楽はない。死ぬまで、安楽死を容認したことによる
懺悔の念に包まれながら生きていく。
死は、死んでいくそのひとだけのものではない。
残された人々がいなくなるまで、その死は意味を持ち、生き続ける。
同様に、生(いのち)も、そのひとだけのものではない。
私たちひとりひとりは、
歴々と引き継がれた<人間の命という聖火のリレーランナー>なのだ。
3.<なぜ>、生きるか?ではなく、<どう>生きるか?
本論の冒頭にも述べたが、頼りになる味方は、人間ひとりひとりにとっては
少数しかあたえられないのは、意味がある。
頼りになる味方は替えがたきものだ。
大切にしなければならないし、
自分の生きざまを示さなければならない。
それは病人であっても同様である。
味方とは肉親(家族)であり、友人であり、医師や看護師たちである
この今の瞬間も、死に「立ち向かっている」方々およびその支援者たちが在る。
「かっこいい死に方はひとつもなく、かっこいい生き方はいくつも<在る>」
ーー 朱色会 ーー
われわれが<不治の病>と相対するとき、その勝利とは・・・
最期の最後まで<味方たちと>闘ったということだろう。
・・・<敵前逃亡>は友軍に失礼なことだ。それは「生きざま」とは言えない。
校了
~~~
他の方の、イケン。