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ま)マイ・ブルーベリー・ナイツ【原題:MY BLUEBERRY NIGHTS】/★★★ [映画(ま]

鑑賞記:人は、一番近い人にその人にないものを求める

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Yahoo映画レビューベストはコチラ(↓ワタシも同イケンだ。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id327838/rid69/p1/s0/c1/

・・・ん?ノラの超ロングPVかな?
と最初は思ったが、バイプレーヤの熱演により、α波は止まることとなった。
スタイリッシュな映像は、ウォンらしいできばえではあるものの。。
主人公はやはり<歌の人>であり、玄人役者衆が支えてあげている部分が垣間見える。
http://jp.youtube.com/watch?v=aBKcKQHZXks&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=paHlDr7kXIo&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=W6sE1L2laCc
正直にいうと、数回一瞬だが意識を飛ばすこととなった。

この映画、デート映画とみてかかると、酸っぱいパイを味わうこととなるだろう。

そういう意味では、本当のヒーロー・ヒロインが隠れている映画だといえる。。。んでそれはやはり
彼(デヴィッド・ストラザーン)と、
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彼女(レイチェル・ワイズ)ということになる。
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学校に番長とウラ番があるように、この映画も表の主人公たちと裏の主人公たちがいるというわけ。
映画に厚みを持たせたる、持たせざるを得ないときに製作者がよく採用する方法だ。

ジュードについていうと安心して観てられるんだけど、やや「使われ方」が固定化してきたなー
・・・という感はある。今の殻を破って、「一皮剥けた」演技を見てみたいけど・・・
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http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B5&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=2

さて、オモテ・ヒロインの加藤ローサだが・・・
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・・・おっと間違った。我らがノラ・ジョーンズについてだが。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA
『今回はアタシ。「役者」を演るわよ。』
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・・・という意気込みというか鼻息はスクリーンからありありと感じられる。
そのせいか彼女が、銀幕で謡うこともなく、(これは朱色会も楽しみにしていて残念なのだが
彼女はフツーの女を演じようとしている。
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やはり、天は2物を与えずというか・・あの歌のレベルを役者でやられちゃ
本職の役者の立つ瀬が無い。
かんばってはいるが歌の封印を差し引いたとしても他の役者のレベルが際立つこととなり
バランスが悪い。

「歌、うたっちゃっていいじゃないですかねぇ・・・いや、むしろ謡ってくれよローサ。」(←?

ま、PVだといわれたくないための演出というか役設定だとはおもうんだけど。。
せっかく神様から与えられた才能なんだから、。、、歌え。タノムから・・

歌えない役者さんは須らくクチパクになるんだぞッ!!
・・・歌えるんだからせっかく、、、(苦
(まだまだえんえんとブツブツいっている俺。。

さて、、話題のあのシーンについても一言いわせてください。
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やはりだな。。。「ジュードだから許される行為」だろうなコレはやっぱし。。。(笑
眠りこけた客にたいしてぇ~『ぶちゅう』は、やりすぎなのであります。いくらイケメンの
カフェ・オーナーであっても。女性客にも聞きたいねぇ。ノラはまんざらでもなく「ニマァ」
としていたな(笑
(その辺は、どうですか?カフェ・オーナーの皆様方。女性客の皆さま。
『もしもジェレミーが、モト冬樹だったならば・・・』
ソッコーでタイーホだろう。。。

「いや、冬樹さんでもイイ」っている方もいらっしゃるだろう。。しかしな・・・フフフ(←?

冬樹さんじゃなくて、福田総理だったらどうするんだッ!!

つまり、これこそがウォン・カーウァイ風ということであり、弱点であるともいえる。

「<美しきひとびと>しか出てこない」

(以下マジメルモードに突入だ。

~~~~~~
ブルーベリーパイは一体何の比喩を表しているのか?

・・・の答えが今もって捉えられない。

消化不良気味なのだ。難しいといわれる映画であってもあっさりと主題到達に成功する
朱色会であっても、この映画は難物だ。

ロード・ムービーというよりは、エリザベスの目を通していくつかの人間関係を表すいわゆる
オムニバス・ムービーの感がある。

『夜』の掛かりも薄いし、何よりも
ロゥとノラの絡みもないのでなんか感情移入できない。。
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冒頭でも述べたが、共演者の強烈な演技そのものがこの映画で楽しめるものだと思う。
とにかくもガラス越しに人間が映される。かなたに写る人間が、観客にとって遠い。
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人は、ひとりでいると人を望むのに、ふたり以上となると<他方が望む役>を重荷に感ずる
それは、恋人を演ったことがある者ならば同意してくれるだろう
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非常に矛盾した存在なのだ人間というものはね。

愛情が束縛に変わるとき、それを苦とするかどうかで未来は180度変わっていく
一番筋と離反していると思われる↓のエピソードの解釈も難しいね。
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さてと。。遅まきながら本題に入ろう。

1.人生の岐路となる舞台

喫茶店(カフェ)やバーは、女と男にとってはいろいろなことが起きる舞台であることは
日米においても変わりはないようだ。

「ゴメン。」

「ごめんなさい」

「結婚しよう」

「いままで・・・ありがとう」

「なッ!つきあわねぇか?オレたち。」

「…さよなら。」

「貴方が好きです」

出会い・別れ・再開もろもろの感情が宿った言葉たちが、椅子やテーブルに染み付いている
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暫定的な別れ・永遠の別れ・・・
暫定的な出会い・運命の出会い
または再会・より戻し
人が集うところは、そのための舞台なのだ。

2.ホームを持つということ

放浪するノラ。鍵は棄てた(預けた
家を持つということは、
物質的なハコや壁を持つということではない
<家に入る鍵を共有する人間を手に入れる>ということだろう
この映画は、そのことをイヤというほど説いている

3.観客が見たい絵をみせないウォン

『ノラを捨てるオトコとはどんなんだ?』
『ナタリーを放蕩娘にした父親とはどんなヤツなんだ?』
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『ジェレミーはなぜ恋人と別れたのだろう?』

などなど、説明が必要な部分をプロットからばっさりやっちゃうのがウォン風といえばそうなんだろうな
とはおもうが、観客しては興味あったよな。・・・かなり。

男として一番肩入れしたいキャラは・・・やはりアーニーだろう。

アーニーとおなじ境遇の男は、、少なくない。

シラフのときはきちんとした警官であるアーニーも、モト女房からああいう言い方をされてしまうのだ
映画の世界だけじゃないか・・

頑張ろうッ!!世の男たちよ!!
頑張ろうねッ!!

(ひとまず校了する。眠くなってきた。寝る。決してふて寝じゃないよッ!!
 ・・・明日は、仕事だな。
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