【2009-56th】ゼロの焦点:★★★★ [映画(さ]
涼子、美紀、そして多江さんの競演となれば観ないわけにいかないだろう。
鑑賞記:おんなは男の一部分しか把握できない
木村多江。<捨てられる女>
広末涼子。<選ばれる女>
中谷美紀。<そのどちらでもない女>を演じる。
・・・今の日本映画女優のスリートップを1つの映画に参集させた<電通>の召集力を感じる。ひとりひとりで1本映画が撮れる贅沢な配役だ。
そして、旬な女優たちの演技は素晴らしいの一言につきる。
1.全体的には、【実写版三丁目】
・・・感が垣間見える。細やかでふんだんなるセット・道具類と(CGは必要最小限で
「よく<つくり>こんでいるなあ」と歓心しきりだ。金沢の冬の寂寥感も秀逸だ。
2.エキストラもきっちり
ひとりひとりに<人生>を割り付けてあり、それに端役も応えている。
よく言えばこまやか
反対にいうと「そこまで演出らなくても。。。」感はあります。
<周り>が映え過ぎると、<中心>が煙るもの。
3.あの時代を今の時代人に見せる意味は・・
その<きっちり感>が、原作のどろどろり感と反駁しあいどうにも観客として
居心地が悪い。『おんなはいつの時代もたいへん』なのはわかるが
それは、「女だけじゃない」しね。
一心がいいたいのは、エピローグというかエンドロールの<現代>だと思うが
例えば「あの時代ほど私たちは人を愛しているだろうか?」などだが
観客にそれが伝わるかというとどうにもそれは難しいだろう。
この原作(話)は、「きっちり」しなくていいじゃないか?
おなごは弱かったのか?・・・すくなくとも<今>はちがう(きっぱり
今邦画は文学映画が目白押しだ。この現象の原因はいつくか空想はできる。
・・・新しい企画が通らないのか?それとも<生み出されていない>のか?
・・おそらくは両方だろう。良くできている。しかし・・
「よくできている」としか云えない。+★は女優たちの熱演に対して。
多江さん・・・
鑑賞記のタイトルは、「逆も然りなり。」
(校了
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