し)少林少女:★★★★★+☆/【解説編】 [映画(さ]
鑑賞記:すべての「道」は、【ある場所】に通じる。
聖火リレーを見てから、映画館へ。
・・・「日本広し」といっても、このような【個性】的な映画を作れる人は少ない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E6%9E%97%E5%B0%91%E5%A5%B3
http://ameblo.jp/mitsushima-hikari/
http://www.shaolingirl.jp/blog/
映画を「作る」のは難しくなってきている。
<面白い>と<解かる>は
かつて同義だった
ーー朱色会ーー
判らない⇒面白くない の面々が増えたためである。(↓
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id327993/s0/or1
昔は、観客と監督の「力」が同じくらいだったので、少々難しいことをいっても
観客はついてきてくれた。今は、そうだな。ついてきてはくれないばかりか、むしろ
怒り出すわけで監督にとっては受難な時代だと言えるだろう。
「だけど、そういう人ばかりではないぞ」
この映画を、解説しよう。そこで、
初めての試みではあるが、解説編と観客編の2部構成でお届けしよう。
本記事は、解説編であるため、まだ見ていない人は、ご覧になってから答えあわせに
再訪ください。・・・それでは、始めます。
1.日本映画が「日本」映画に留まれない時代
実は、わたし自身も「さぁ、観にいくぞっ」とこの映画に臨んだわけではない。
「なんで少林拳法とラクロスのコラボなんだろう」と訝しがっていたのだ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A8%9D%E3%81%97%E3%81%8C%E3%82%8B&stype=0&dtype=2
そして、様々なアジアの演者たちが終結している。
『かみ合うのかなぁ。。カンだりして。。(笑』
しかし、終劇後は、『嗚呼、観てよかったな』とすっきりした気持ちに満たされている。
~~~~
…今の産業がそうなったように、
映画というメディアも市場をアジアに視野に入れ始めている
いまの日本の産業は、とりわけアジアとの共存を密にしないわけには
いかなくなったことは、よく知られていることである。
売り手・買い手の単純な関係から、作り手・使い手なども含まれるようになった。
日本の成長<だけ>を考えていた旧世紀から、
そのまわりの成長を考慮した世紀へと移った。
そしてそれは、産業・経済だけでなく、文化もである。
<日本映画は日本だけのもの>
・・とは許されなくなった
「日本映画界の行き詰まり」が叫ばれるようになって久しい。
旧来を文化を尊重しながらも、海を隔てた。国々との共栄・共存を図っていくことが
日本の生き延びる道である。
そのなかで重要なことは、
他の地と方と共有できる概念を見つけ、それを認め合うことだろう
・・・強制なしにだ。そうでなければ、「共生」はできない。
なれば、<それ>は何なのだろうか?
2.力と「こころ」
西洋主義が、この国に蔓延っている。
・成果主義(聖火じゃない
・結果主義
・物質主義
・競争(格差)主義
・技術主義
そして、
・個人主義
・・・昔から、そうだったわけではない。
独裁による統治vs和。
わたしがこの映画から現実を見れた最大の収穫は
「あるある。こんな私立大学や私立高校。。」
校門の横断幕が掲げられている
・・・・優勝。
・・・・大会進出。
成果として表したいのは、<預かった子供さんの成した結果>なのか
それとも<自己の優れたガッコウの教育システム>を謳いたいとでも?
子供が少なくなった。いってみれば学校そのものも【大競争時代】だな。
かつて、大学までに燃え尽きた学生たちは、<つかの間の天国>を大学に求めた。
今は・・・「会社予備校」になりつつある。
競争がつづく。いつもでも、いつまでも・・・・いつまでも。
勝つということは負けるものがいるということであり、勝利の報酬は、永遠のものではない
・・・「貧しさ」とは何なのか?考えさせられる。
そして「豊かさ」とは何かを、この映画を観たひとは気づくだろう。
【貝】ではなく「豆」を。
3.<個>性と<衆>団のカンケイ
日「本広」エンタ映画の完成形といえるだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%83%E5%85%8B%E8%A1%8C
映画冒頭のCGや、結末近くの突き抜け感は
観客をたじろがせるが、どの祭りにも花火は必要だ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%A4%BF%A4%B8%A4%ED%A4%B0
・・・というわけで、この編の締めくくりはコチラ↓
「個人ではなく、「全員」の勝利を。」
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2006-02-28
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2006-02-11
====
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2006-09-03
この映画は、<そのこと>のみを伝えているエンターテイメント映画である。
お勧めいたします。だけど映画を楽しむ<能力>を試させられるので、そのつもりで。
ある程度世の中とこの映画を比べながら観れば、
他にも<気づくこと>はいくらでもある
エンタ各論については、【観客編】をご覧ください。(日付変更線のあとで
それまで(↓
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kazuponf/chow/chow.html
http://home8.highway.ne.jp/galzo/movie/shokusin.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC
=====
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC
聖火リレーを見てから、映画館へ。
・・・「日本広し」といっても、このような【個性】的な映画を作れる人は少ない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E6%9E%97%E5%B0%91%E5%A5%B3
http://ameblo.jp/mitsushima-hikari/
http://www.shaolingirl.jp/blog/
映画を「作る」のは難しくなってきている。
<面白い>と<解かる>は
かつて同義だった
ーー朱色会ーー
判らない⇒面白くない の面々が増えたためである。(↓
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id327993/s0/or1
昔は、観客と監督の「力」が同じくらいだったので、少々難しいことをいっても
観客はついてきてくれた。今は、そうだな。ついてきてはくれないばかりか、むしろ
怒り出すわけで監督にとっては受難な時代だと言えるだろう。
「だけど、そういう人ばかりではないぞ」
この映画を、解説しよう。そこで、
初めての試みではあるが、解説編と観客編の2部構成でお届けしよう。
本記事は、解説編であるため、まだ見ていない人は、ご覧になってから答えあわせに
再訪ください。・・・それでは、始めます。
1.日本映画が「日本」映画に留まれない時代
実は、わたし自身も「さぁ、観にいくぞっ」とこの映画に臨んだわけではない。
「なんで少林拳法とラクロスのコラボなんだろう」と訝しがっていたのだ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A8%9D%E3%81%97%E3%81%8C%E3%82%8B&stype=0&dtype=2
そして、様々なアジアの演者たちが終結している。
『かみ合うのかなぁ。。カンだりして。。(笑』
しかし、終劇後は、『嗚呼、観てよかったな』とすっきりした気持ちに満たされている。
~~~~
…今の産業がそうなったように、
映画というメディアも市場をアジアに視野に入れ始めている
いまの日本の産業は、とりわけアジアとの共存を密にしないわけには
いかなくなったことは、よく知られていることである。
売り手・買い手の単純な関係から、作り手・使い手なども含まれるようになった。
日本の成長<だけ>を考えていた旧世紀から、
そのまわりの成長を考慮した世紀へと移った。
そしてそれは、産業・経済だけでなく、文化もである。
<日本映画は日本だけのもの>
・・とは許されなくなった
「日本映画界の行き詰まり」が叫ばれるようになって久しい。
旧来を文化を尊重しながらも、海を隔てた。国々との共栄・共存を図っていくことが
日本の生き延びる道である。
そのなかで重要なことは、
他の地と方と共有できる概念を見つけ、それを認め合うことだろう
・・・強制なしにだ。そうでなければ、「共生」はできない。
なれば、<それ>は何なのだろうか?
2.力と「こころ」
西洋主義が、この国に蔓延っている。
・成果主義(聖火じゃない
・結果主義
・物質主義
・競争(格差)主義
・技術主義
そして、
・個人主義
・・・昔から、そうだったわけではない。
独裁による統治vs和。
わたしがこの映画から現実を見れた最大の収穫は
「あるある。こんな私立大学や私立高校。。」
校門の横断幕が掲げられている
・・・・優勝。
・・・・大会進出。
成果として表したいのは、<預かった子供さんの成した結果>なのか
それとも<自己の優れたガッコウの教育システム>を謳いたいとでも?
子供が少なくなった。いってみれば学校そのものも【大競争時代】だな。
かつて、大学までに燃え尽きた学生たちは、<つかの間の天国>を大学に求めた。
今は・・・「会社予備校」になりつつある。
競争がつづく。いつもでも、いつまでも・・・・いつまでも。
勝つということは負けるものがいるということであり、勝利の報酬は、永遠のものではない
・・・「貧しさ」とは何なのか?考えさせられる。
そして「豊かさ」とは何かを、この映画を観たひとは気づくだろう。
【貝】ではなく「豆」を。
3.<個>性と<衆>団のカンケイ
日「本広」エンタ映画の完成形といえるだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%83%E5%85%8B%E8%A1%8C
映画冒頭のCGや、結末近くの突き抜け感は
観客をたじろがせるが、どの祭りにも花火は必要だ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%A4%BF%A4%B8%A4%ED%A4%B0
・・・というわけで、この編の締めくくりはコチラ↓
「個人ではなく、「全員」の勝利を。」
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2006-02-28
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2006-02-11
====
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2006-09-03
この映画は、<そのこと>のみを伝えているエンターテイメント映画である。
お勧めいたします。だけど映画を楽しむ<能力>を試させられるので、そのつもりで。
ある程度世の中とこの映画を比べながら観れば、
他にも<気づくこと>はいくらでもある
エンタ各論については、【観客編】をご覧ください。(日付変更線のあとで
それまで(↓
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kazuponf/chow/chow.html
http://home8.highway.ne.jp/galzo/movie/shokusin.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC
=====
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC
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