び)眉山-びざん- [映画(は]
「∞」。
鑑賞記:稲穂のように力強くもそよぐ踊り子たちの手
稲穂の数だけ、踊る人としての想いがある。
朱色会は映画を観るとき、ビールセット(生+キャラメルポップコーン)を
持ち込む。・・・・スミマセン。
飲んだビールは「その上映時間中」に
全て『涙』となり、体の外に出てしまったし
ポップコーンは半分以上残っていることに
終演後、劇場が明るくなってから気がついた
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/bizan/
~~~~~
・・・信子さん。お帰りなさい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E4%BF%A1%E5%AD%90
「信子(龍子)節」は、健在。なんら衰えはない。
母娘ものがたり。はたして朱色会の心中はいかばかりかと
見る前は不安があった。なぜなら、私は女ではない。
自分の歴史にない経験につき、どのような歓声
いや感性をもてるだろうか?
いや、大丈夫だ。たしか原作者も男だったよな。たぶん。
などと、自分に言い聞かせるように
・・・とおそるおそる入場したのだったが。。
結果は冒頭で述べたとおりだ
ま、観てください。お勧めします。それでは、いつもように調べ物
に入りますので、またアトで。
~~~~~~~
男ー親子にもときどきは起こること
つまり親子といえど、男という個人としてどう生きていくのかの
反駁が起きるがそれはどうやら女の方が強いのかなと
この映画を観て感じた。
「女としてどう、生きていくのか?」
~~~~~~~~
この映画は、外見のストーリーもすばらしいがやはり
映画として質の高さを感じるのは
観客としての大人の技量を試されること。
大人としての気づき
大人としての優しさ
などを研ぎ澄まして観る必要がある。というかそうすると
いよいよ楽しめるようになっている。
~~~~~~~~~
無理に『献体』まで持っていかなくてもとは思ったが
龍子を著すためどうしてもいれなければならなかったとすれば
納得感はある
松嶋菜々子さん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B6%8B%E8%8F%9C%E3%80%85%E5%AD%90
女優は、大女優の継承者たるかどうかをいつも試される。大変だなァ
男優にはそういうのはない。・・常に一個人店主だからな
娘役としての細やかさを感じたのは
眉毛の演技か?劇場でご確認いただたい。
・・・そしてなんといっても特筆すべきはバイプレイヤーの皆さんだ!
す・・す・・す・・す・・・ばらすぃ~しっとりとした演技だ~
山田辰夫さん。
円城寺あやさん。
そして、
夏八木勲さん。
それから、
中原丈雄(たけお)さん
金子賢さん
など、役柄に同化する仕事人(演者)として観客として堪能させて
もらいました。選び出した監督たちのキャステングが功を奏している
映画は、「人」を観にいくところ であることを思い出させてくれて
ありがとう。もう一回言っていいですか?
ありがとう!
~~~~~~~
映画論(なんていえるほど技術的に映画を語れませんが
的にいうとこの映画は日本映画の王道をいく作りこみをされている
日本映画の何がいいのか
をしっかり踏まえた上で、奇をてらうことはせずに
まっすぐに人の姿と心を捉えている。
また、
劇場という巨大なスクリーンを生かした絵の取り方も
現在の顔のクローズアップ多用に疑問を投げかける秀逸なものだ
アップが増えるのは、(小さな画面に焼きなおす)からの「対策」
なのだが、この映画ではその手法を採用せず、あえて
観客にどこ(誰)を見るのかを委ねている。いわゆる映画の
【引きの美学】
それが冒頭に現れるシーン
キャリアウーマンの残業シーンに現れる
・ダンボールを無造作に作る男
・まったく話の筋に関係ない、男女の談笑の声
などに表されている
これからどういう映画がはじまるのか
気づく観客は幸せだ。この映画を深く堪能できるからだ。
=====
この星に落っこちてきて
政治・宗教・文化 さまざまなちがいをみせる我々人間にとって
実は【唯一の合一点】がある・・・それは、
「誰かの子供である」ということだ
そして、もうひとつ
いつかは「見送られる側」または「見送る側」の立場に置かれる(泣
・・・人生とは厳しいのか?はたまた優しいのか?
それは、観た貴方が判断してください。
「観るアホゥ!集合ッ!!」
(校了!(5:55)
=====
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E8%B8%8A%E3%82%8A
http://cosina.exblog.jp/
http://food.betoku.jp/
コメント 0