【789節:映画】野火:★★★★ [映画(な]
鑑賞記:「記録はあるが、記憶(体験)がないもの」を描き続けていくということ
これまで、人間は多くの映画を生み出してきた。
そのなかで【戦争映画】というジャンルがある。
人人が楽しめるという目的のため、かつてはそのほとんどは
「美しい」もの、勇猛なもの、かっこいいものが大半を占める。
しかし、本作はその対極側に在る作品である。
1.「で、あんたは行ってきたの?」の問いにどう応えるのか?
感情の再現が演技であり、そしてその表現物の一つとして映画がある。
わたしたちは作品を通して、例えば恋愛感情や社会的な差別など
作品と共感するのはその根っことしてそれを持てる体験記憶があるからだろう。
戦後70年、直接的には戦争に関与してこなった我々のほとんどは
平和な社会の恩恵に浴する代わりとして
表現物の送り手、受け手とも戦争を実体験できていない。
しかし、だからといって戦争映画を止めるわけにはいかないのだ。
これからの私たちの一つの課題として
戦争の惨禍をどのように「持っていない」ものたちとして受け取り、
「さらに持っていない」ものたちへどのように伝えていくのかは
よくよく考えて実施していく必要があると感じた。
2.作品を通して(注:作品の内容に触れています。)
戦争は現場にとっては、とても極小化されていく。
戦争を始めるお偉い方々は「美しい」スローガンをもって
戦場へ戦士を送るが、現場は修羅場しかない。
敵は見えない向こう側だけではなく、味方もしくは
正気を失おうとする自分とも闘う必要が出てくる。
「殺さなければ、殺される。」それだけである。
『俺の言うとおりにしれば大丈夫だからなァ』←?あんた一体誰(何)なんだ?
日本男子よ。それでいいのか?これでいいのか(←?泣
3.肝要なのは、「はじめさせないこと」
われわれは、平和を維持したいと思っている。
しかし、昨今の世界情勢は、そのために戦闘行為に協力(加担)しなければならない
とかで、まるで顕在化している学童のいじめの構図(前節)にとてもよく似ているな。
始まってしまったら、もう転がり落ちるだけだ。底で止まるまで。
そのために何をするのか?
塚本氏は、この作品ではじめさせないための「灯」を付け火したかったのかもしれない。
ひとりの日本人の表現者として。
・・・この作品を観て、そう感じました。
果たして、どっちの野火が勝つのやら?
上映されている館はとても少ないですが
ご興味があればご覧になってください。
ひとまず校了です。ではまた、どこかの劇場で。
(2015.7.31 鑑賞)
見てくださりありがとうございました。
男同士の連帯感(ホモソーシャル感)を強調し、戦争への一体感を描くことも、
目を欺くスペクタクルで娯楽感を煽ることもしない。
ただ淡々と、戦争後期の煉獄を見せつけるリアリズム。
見ていて、決して楽しい映画ではなかったかと思います。
でも見てくださり、とても嬉しかった。
ありがとうございます。
by とらねこ (2015-07-31 16:09)
とらねこさんコメント有難うございます。
塚本監督らしい鉄男テイストもあり、塚本ファンも楽しめる内容となっていますね。
とらねこさんは、よい作品の製作に携われましたね。
by 朱色会 (2015-08-01 13:09)