ヱヴァンゲリヲン:序 [映画(あ]
1⇒映画の日⇒エヴァ初日のパワーはいかに?
・・・いったん家に戻る事態となった。初回・2回目ともチケット売り切れ。ちょっと嬉しい。
http://www.rosa10.jp/rosa10e/schedule/
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鑑賞記:変えられないもの。そして「変えたくないもの」。
Airから「10年」。
14歳の子供が24歳になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E7%94%B0%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AB
20歳の娘が30歳になる。
32歳の男が42歳になる
ために必要な年月である。
~~~~(以下9/3深夜追記。
『エヴァンゲリオン』が人びとに受け入れられた理由は、今までになかったものだからだ。
すべてが斬新だった。その当時、インターネットに潜ると右を見ても左を見ても
エヴァだったと記憶している。アニメをしらない文化人まで巻き込んだいわゆる
社会現象だった。
あれから10年あまりが経つ。
私が再映の話を聞いたときの第一印象は、『えっ?なんでいまさらエヴァやんの?』
もはや当時の状況ではない。あるブームはその世代を背負う。であるから、
いまの世代についてエヴァが何を問えるのか?それは困惑ともいえる感情が走ったのだ。。
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庵野氏はいつも<観客の【創造】を超えるもの>を我々受け手に供してくれる。
Airでのシンジのオナニーシーンは、あっけにとられた。観客として茫然自失になったのは
後にも先にもこれだけだ。
そして、、今回もそれは行われたのである
『まったく同じ話の筋。まったく同じ構図。まったく同じ台詞』
デジャブ<既視感>が目の前で繰り広げられる。嗚呼、、、これは
どういう表現者の意図なんだろうなと、やはり呆然とスクリーンを眺めていた。
・・・しかし、違いは確認できた。
そのものズボリを示すことはしない。これから観る方のために。
エヴァを知っている方ならばこの2つの加筆・修正に容易に気づくはず。
この2つの台詞そのものが、序のコアなのだ。
破・急でその理由が語られるはず。
ヒントだけ示しておく。(女と男、そして子と親)
(2009.6.28 と、いうわけでこの節は綴じます。つづきは↓
http://ver-milion.blog.so-net.ne.jp/2009-06-28
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旧作は人間の在り様をSFをかりて著した良品であった。
今回は多分次の結論に導かれているだろう。つまり
『人間は完体ではない。』
完体でなくていいということ。
この星の霊長でありながら、人間だけが生物として完体ではないということ。
人間の深淵に、この作品は到達するのか、その行く末を見届けることとした。
序だけでは作品とはなっていない。破を拝聴し、その上で評価したい。
=====(ここまで。9.3深夜追加分
・・・いまだ鑑賞記の主題を決めかねている。批判の方が↓のように書きやすい
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id327253/p0/s5/
↑のイケンはすべて可愛さあまって憎さ100倍というものだが。。。
私のようなコアファンは肩透かしを食うだろう
しかし、諸手を上げての大歓迎とまではいかないのだ(↓
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id327253/p0/s4/
「サービス」の質が変わったことは明白だ。
どうまとめるか?マリンで構想そのものを校正中である。(VSオリックス
(ここまで。校了とともに削除。
そして、もうひとつの悩みは、「私の発見」がこれから観る方にも、そして
既にごらんになった方にも、「サービス」になるのかどうかその判断がつかない。
・・・書くべきか?・・書かざるべきか?私の指も躊躇っている。。
この世のものごとは、後でジブンで知った(気づいた)方が楽しみが大きいからである。(つづく。
http://youtube.com/watch?v=p00Cb3zSBK8&mode=related&search=
~~~(やはり、、同意な方はいた。
http://d.hatena.ne.jp/montar-01/20070902/1188837940
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